堂上 研
株式会社博報堂 ミライデザイン事業ユニット ビジネスデザイナー
1999年、株式会社博報堂に入社後、食品や金融・エネルギーなどの広告マーケティングプロデュース業務に従事。2012年、新規事業開発の事業化クリエイティブのプロデュース業務に従事。2019年ミライの事業室立ち上げ、ビジネスデザインディレクター、室長代理。経団連DXタスクフォース委員。
2024年、株式会社ECOTONEを社内起業で立ち上げ、代表取締役社長、ウェルビーイングメディアWellulu編集長、ウェルビーイング共創デザイナー(博報堂から出向)。その他、経営情報イノベーション専門職大学(iU)で、ウェルビーイング共創学教授、日本イノベーション協会理事。3人の子どもの父。
大企業とスタートアップ、産・官・学・街との連携で事業創出を目指すオープンイノベーションプラットフォーム「TMIP(Tokyo Marunouchi Innovation Platform)」。2023年、2024年に引き続き、大企業発の“新規事業創出”を表彰する「TMIP Innovation Award 2025」が開催されました。

過去5年間に立ち上がった新規事業の中から、市場規模や革新性、社会課題の解決に対する姿勢など、さまざまな観点を踏まえ、次の時代を担う大企業発の新規事業を評価します。2025年11月7日、最終選考に進んだ5つの事業によるピッチを経て最優秀賞、優秀賞、日経ビジネス賞、オーディエンス賞、入賞を決定しました。
入賞を果たしたのは、株式会社博報堂からカーブアウトして設立された、株式会社ECOTONEのウェルビーイング産業共創事業です。
本記事では、ECOTONEの代表取締役社長にして、同社が展開するウェルビーイング特化型Webメディア『Wellulu』の編集長を務める堂上研さんにインタビューを実施。博報堂において新規事業に取り組むようになった経緯、ECOTONE設立までの過程における壁と苦悩、そしてイントレプレナーとして「社内起業」に挑むことへの思いを伺いました。
ECOTONEが構築する、ウェルビーイング・エコシステム
堂上さんが代表を務めるECOTONEの事業は、3つの柱で構成されています。
一つ目は「コンテンツ制作事業」。クライアントと共に『Wellulu』に掲載するコンテンツを制作し、対価を得るモデルです。しかし、これはECOTONEによる価値創出のきっかけに過ぎません。
二つ目は「インキュベーション事業」。メディア運営を通じて蓄積されたウェルビーイングに関するさまざまなデータと知見、記事取材から見えてくる兆しを元に、クライアントと新規事業を共創します。
堂上さん「メディアをやっていると、例えば『いま、スリープテックへのニーズが伸びている』『フードテックでは、このようなブームが起きている』といったさまざまな潮流がデータとして見えてきます。
それは同時に、失敗する確率の低い事業構想が見えてくるということでもあり、データを元に、クライアントが進めている新規事業の課題点をフィードバックできるということでもある。クライアントの中には、事業開発を任されたものの、どうすればいいかわからず、四苦八苦している担当者の方もおられます。投資や人材の共有、あるいは事業のアイデア提供など、さまざまな手段によって、そういった方々をサポートするのが、ECOTONEのインキュベーション事業です」

株式会社ECOTONE 代表取締役社長 堂上 研
そして三つ目が「コミュニティ事業」です。生活者が抱える具体的な悩みをテーマとしたコミュニティを立ち上げ、悩みの解決につながる情報や機会を提供することで、コミュニティ参加者である生活者からの月額料金を得るビジネスモデルです。
堂上さん「第一弾として『睡眠上手になる会』というコミュニティを立ち上げました。日本には睡眠に悩む人が約3,000万人もいるとされています。そこで、睡眠の専門家やスリープテック企業を巻き込み、睡眠に悩む生活者のペインを解決したいと考えました。
現在(2025年10月時点)、立ち上げから3か月ほどが経ちましたが、40名ほどのコミュニティに成長しています。このコミュニティの重要な点は、生活者が悩みの解決につながる情報を得られるだけではなく、クライアント企業にも価値を提供できる点です。
たとえば、スリープテック企業にとって、睡眠に悩みを抱える方々の生の声はとても重要です。当然、テストマーケティングの場にもなります。だからこそ、生活者から月額料金をいただきながら、ソリューションを提供したい企業からも協賛金をいただくことが可能になる。つまり、CとBの両方のペインを解決しながら、事業共創していくことで、収益を得ながら、生活者のリアルな声を事業開発に生かす仕組みになっています」
メディアを通してウェルビーイングに関するデータと知見を得て、集客をしながら、コミュニティで生活者の悩みを解決すると共に、その課題を深掘りする。そして、インキュベーションを通して、クライアントと共に新たな事業を生み出す。事業それぞれが独立するのではなく、一つのエコシステムとして、生活者とクライアント企業の双方に価値を提供する。この仕組みこそが、ECOTONEの強みなのです。
「新規事業」イノベーションへの挑戦のはじまり。
博報堂において「社内起業」という形でECOTONEを設立した堂上さんは、なぜ新規事業にチャレンジするようになったのでしょうか。
堂上さんが博報堂に入社したのは1999年。当初は3年程度で退職し、自ら事業を起こすつもりだったと言います。しかし、すぐに広告づくりのおもしろさに魅入られた堂上さんは仕事に熱中。気づけば十数年の月日が流れていました。
転機が訪れたのは2012年。一通りの業務を経験し、自信をつけた堂上さんは、満を持して起業を決意します。そこで、新規事業に携わるきっかけをいただくようになりました。
堂上さん「当時、広告業界は大きな転換期を迎えていました。戦後より築き上げられてきた従来の広告モデルが、デジタル・テクノロジーの急速な進展によってどんどん変わっていくのを感じていました。
広告会社は新たなビジネスモデルを構築することが急務であり、『第二創業』が求められていたわけですね。そうした中で、自社の新しいビジネスモデルを作っていくことを考えると、とてもわくわくしましたし、外に出て起業するよりも、大きな挑戦だと思ったのです。
当時はまだ『社内起業家』や『イントレプレナー』なんて言葉も知りませんでした。ただ、会社の中で“起業”し、第二創業の軸となる事業をつくりたいと思ったんです。そう考えて、新規事業づくりができる環境を求めて、新部門である博報堂ビジネスアーツへの異動を志願し、ビジネスデザインをすることを認めていただきました。これが、僕の新規事業づくりの原点です」

堂上さんは博報堂ビジネスアーツでさまざまな事業創造にチャレンジした後、ビジネス開発局を経て、2019年に博報堂初の新規事業開発組織「ミライの事業室」を創設し、その中でもクライアント企業のJVを中心とする事業共創・事業インキュベートをすることになります。
「飛び地」での失敗。“本業”を生かすという選択
ミライの事業室で「第二創業」に向けたチャレンジを加速させ始めた堂上さんは、あるルールを定めます。それが、「『飛び地』で戦うこと」でした。
堂上さん「『第二創業』が求められている以上、既存事業の延長線上にあるものや、派生事業を立ち上げてもしょうがないと思いました。本業とは全く異なる領域への挑戦が必要だと考え、スマートシティ事業やヘルスケア事業などに取り組みました。
ただ、結果から言えば、『飛び地』での事業はなかなか成果につながりづらかったです。ただでさえ、新規事業は膨大なリソースを必要とします。それに加え、『飛び地』の場合、社内に知見がないため、各分野の専門家を探し、頼らなければならない。事業は停滞し、うまくいかない案件の山を築いてしまいました。
その反省から、改めて『広告会社の強み』を生かせる事業を模索することにしたんです。その結果、たどり着いたのがメディア事業とインキュベーション事業でした」
マーケティングとクリエイティビティの先のイノベーションを追いかけていたら、挑戦している人たちは、みんないきいき仕事をしていることにたどり着きます。そこで、「ウェルビーイング」という軸をもって、メディアとインキュベーションをすることに、可能性を見出しました。
堂上さん「時代はSDGsから『SWGs(Sustainable Well-being Goals)』へとシフトしています。僕は対立や分断、孤独といった社会課題を解決するキーワードとして、ウェルビーイングが中心になることを、肌で感じていました。コロナ禍が、さらに「命の産業」を加速させることになりました。
そして何より、ウェルビーイング領域こそ、広告会社の強みが生きるのではないかと感じたのです。当時から人々のウェルビーイングの実現をサポートするためのプロダクトやサービスを開発しているスタートアップは数多くありました。そういった会社の創業者の多くは元医師やエンジニア出身者が多く、素晴らしいプロダクトやサービスを持っているのにマーケティング戦略で苦労している企業が多くあったんです。
広告会社の強みは、なんといってもマーケティングとクリエイティビティです。であれば、ウェルビーイングに関する情報を発信すると共に、この領域で戦う企業のマーケティングやクリエイティビティに資するメディアをつくろうと考えました」

さらに、堂上さんには「インキュベーション」にかける思いがありました。広告業、そして新規事業開発に取り組む過程で、新たな事業づくりに挑むたくさんの同志に出会ってきた堂上さん。そんな同志たちとの出会いが、「インキュベーション」と「ウェルビーイング」という概念を橋渡しすることになったのです。
堂上さん「イノベーションを追いかけて挑戦している人たちに会うと、みんなすごく楽しそうで、目が輝いているんです。その姿こそまさに、ウェルビーイングな状態なのではないかと思ったんです。
では、なぜこんなに幸福そうなのかと考えて見たとき、『何かに挑戦している』ことがウェルビーイングにつながるのではないかと思いました。であれば、一人でも多くの人の挑戦をサポートすることが、社会全体のウェルビーイングにつながるのではないかと。そういったことからも、インキュベーション事業に注力したいと考えたんです」
その後、共に事業を立ち上げるパートナー探しに奔走することに。最終的に堂上さんがパートナーに選んだのは、2022年4月1日に博報堂DYグループにジョインした、豊富なメディア運営経験を持つソウルドアウト株式会社のグループ会社、メディアエンジン株式会社でした。
2023年3月末には、ウェルビーイングに特化したWebメディア『Wellulu』を立ち上げ、実証実験を開始。これが2024年10月の、株式会社ECOTONE設立につながっていくことになります。
自ら退路を断ち、すべてのリソースを新規事業に集中させる
順風満帆に見える堂上氏ですが、ECOTONE設立に至るまでは苦難の連続だったと言います。『Wellulu』の実証実験開始から時をさかのぼること3年。
2020年4月、堂上さんはミライの事業室 室長代理に就任し、マネジメント側としても事業立ち上げに携わるようになりました。100名以上のメンバーをマネジメントし、事業創造をサポートするようになりますが、思うように成果が出ず、どうすれば良いか画策が続きました。
堂上さん「結果から言えば、もっと早く、たくさんの成功事業が産まれているはずでした。僕の仕事は、メンバーがイントレプレナーになるためのサポートをし、環境を整えることでした。もちろん、新規事業は簡単ではありません。大事なのは、うまくいかない事業に見切りをつけ、また新たな事業にチャレンジするサイクルを構築することだと思っていたので、明確な撤退基準を定めたのですが、なかなか撤退する判断が難しかったです。
元々、僕らは「第二創業」の気持ちで動いていましたが、なかなか大企業にいると、事業開発のスタンスを理解できない環境でした。ある程度の挑戦をし続ける環境において、新規事業開発におけるコンフォートゾーンから抜け出す勇気をもてなかったのが原因だと思います。小さな失敗を繰り返しながらも、未来をつくるために何度も何度も挑み続ける。そんなアクションを起こすことに、既存の事業の壁があったのだと思います。
このままではミライの事業室から、新規事業が生まれない——そう危惧した堂上さんは、驚きの行動に出ます。
堂上さん「僕自身がマネジメントを降り、起業家の道を目指す、すなわちイントレプレナーになることを決断しました。そして、『このチャレンジにすべてを掛けるために、既存事業の仕事は一切やらないことを認めてほしい』とお願いしたんです。
そして、ちょうど1年間の実証実験を終えた『Wellulu』の実証実験にすべてを注ぐことにしたのです」
法人化に向けて「外圧」をうまく活用し、社内を説得する
2024年4月、ウェルビーイングメディア『Wellulu』の事業成長に挑み始めた堂上さん。新会社設立に向け、実証実験での成果をベースに社内への理解に動きました。その上で、社内の理解を得るためには、メディアビジネス単体での成長性や、インキュベーションやコミュニティビジネスに展開したときの蓋然性を問われました。新規事業において、可能性を探るという視点で話していたので、なかなか社内の理解を得ることができませんでした。
そこで、社内を説得するために不可欠だったのが、外の専門家である「外圧」の活用です。新規事業を推進するために、博報堂の中のフェロー制度というシステムをつかって、新規事業における専門家人材を味方にする仕組みをつくったのです。
そして、新規事業家である守屋実さんや、慶應義塾大学医学部教授で教鞭を執り、ヘルスデータサイエンスを専門とする宮田裕章さんなどをフェローとして招聘。彼らの存在が、ECOTONE設立を後押しします。
堂上さん「『その道のエキスパートが仲間についている』という事実は、社内に理解いただくために大きな後押しとなります。大企業の経営や管理部門を動かすのは簡単なことではありません。社内だけで動いていてもなかなか難しい。そんなときは仲間になってくれた専門家である『外圧』をうまく活用すべきだと考えています。
そして、フェローのみなさんは、『社内の説得』以外にも大きな役割を果たしてくれました。ECOTONEの株主としての役割です」

堂上さんは、過去の経験から「100%子会社は低空飛行のビジネスになってしまう可能性が高い」と考えていました。親会社の意向に左右され、事業のスピード感が失われるからです。そこで、堂上さんは博報堂以外に、外からも資金調達をすることにしました。そこで、株主や取締役に外部の人間を入れることで、外の力を活用して、ビジネスをグロースするきっかけにつなげたのです。これは、ECOTONEという名前の由来にもつながる取り組みです。ECOTONEは、元々、生物学や生態学で使われている異なる場所の移行帯、つまり、隣接する場所の部分を言います。多様な生物が交じり合う場所だからこそ、新たな新生態系が生まれると言われています。
堂上さん「フェローのみなさんには、ECOTONEの株主になってもらうと共に、取締役への就任をお願いしました。そうすることによって、さまざまな知見を取り込むと共に、経営に第三者の視点を入れたいと考えたんです。
『博報堂はこう言っているけど、こうした方がいいよね』と言ってくれる仲間が必要だったんです。もちろん反対意見はありましたが、ここだけは絶対に譲らないと決めていました」
大企業から挑戦する人が増えれば、ウェルビーイングな産業につながる。
会社設立という荒波を乗り越え、順調に事業を成長に導いている堂上さん。これまでの道のりを振り返り、イントレプレナーにとって最も大切だと感じているのは「巻き込み力」だと言います。
堂上さん「一説によれば、イントレプレナーになれる人材は社内に約3%しかいないとされています。では、その3%とは誰か。結局は『人好き』で、事業に対して『パッション』を持っている人なのだと思っています。ではなぜ、その2つの要素が重要かといえば、そうでなければ仲間集めができないからです。
いくらいい事業アイデアを持っていたとしても、一人で事業はできません。フォロワーがいるからこそ事業は成立する。事業を立ち上げたのちは、他の能力も求められるでしょうが、少なくとも最初のフェーズにおいては、社内外から自分の足りない部分を補ってくれる仲間を集めるための『巻き込み力』が何より重要だと思っています」

「そして、先ほども言ったように、仲間たちと大きな挑戦に挑むことがウェルビーイングにつながると信じています」と続けた堂上さん。今回、TMIP Innovation Award 2025への参加を決めた理由も、日本にイントレプレナーを増やしたいという強い思いからでした。
堂上さん「これは広告の仕事をしていたときから感じていたことなのですが、大企業には優秀な方がたくさんいます。でも、優秀であればこそ、要領よく仕事をこなすことができる。もちろん、企業人としてはそれが正解なのかもしれません。
しかし、大企業にいながら、スタートアップのように自分の意志で動ける環境、新規事業に挑戦できる環境が生まれたら、リソースを活かしながら進めることができて、成功する可能性が高くなると思っています。
大企業の中でやることも大変ですが、同じ大変なら楽しいほうが良い。少しでも『新規事業に挑戦したい』と思っているなら、大企業のリソースを使って挑戦すればいいんです。僕自身、現在の挑戦を心から楽しんでいますし、一人でも多くの人にこの楽しさややりがいを伝えたいと思っています。」
そうして臨んだTMIP Innovation Award 2025において、ECOTONEの事業は入賞を果たすことになりました。

堂上さんは、事業の展望をこのように語ります。
堂上さん「ECOTONE社の目指す社会は、『つながりの中で、ウェルビーイングな人を増やす』ことです。これは、事業開発に携わる人を増やすこととも言い換えられるかもしれません。将来的には、ECOTONE社の傘下に、ウェルビーイングに資するビジネス(法人)をどんどん創っていき、ウェルビーイングとビジネスを両立させたいと考えています。例えば、スリープテック、フードテック、HRテック、認知症コミュニティ、街づくり、地域ビジネス創造などです。そうして、10年後には、『日本を代表する、社内起業の成功例』と言われるような存在になりたいですね」

最終選考会・表彰会で実施されたピッチは、グラフィック・クリエイター 春仲 萌絵さんによってリアルタイムでグラフィックレコーディングにまとめられた